修理屋ブログ

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昭和アイドル備忘録を見直してみる 1

昨日Sに「昭和アイドルオタク」といじられたので…(じゃないのに(-_-;) )

 今日は昭和アイドル(80年代)の話です

みなさんは最初に誰を思い浮かべます?

やはりまず頭に浮かぶのは松田聖子中森明菜ですかね?

この二人はよく比較されどっちが上か?なんて未だに議論されてますよね

だけど先に思い浮かぶのって松田聖子じゃないですか?

どっちが?ってお題になる時も先に名前がでるのはほぼ松田聖子のような気がしません?ってことは???

松田聖子が先にデビューしてそれを追随していたのが中森明菜だからなのですかね

まぁこんなことでどっちがトップだったかなんて決められませんがね…

でも当時を振り返ればダントツのトップだった松田聖子を脅かす存在の筆頭が中森明菜だったのは間違いなかったですね、なんとなくですが潮目が変わったのは1985年の松田聖子の結婚ですかね、その年の紅白で区切り活動休止をして出産を経て復帰したのが1987年でした

復帰後も新曲を出せばセールス1位がしばらく続きますがちょっと以前ほどの勢いは感じられなかったような気がしました

それと対照なのが1985年~1988年の中森明菜です

彼女にとって一番輝いていた時期だったのではないでしょうか

ただこれは単純に松田聖子がいなかったからということではないと思います

84年11月に発売した「飾りじゃないのよ涙は」あたりから曲も当時でいうニューミュージックと言われるアーティストからの楽曲が多くなったり振付けなんかも自身で考えたりとセルフプロデュースするようになってなにか殻を破ったかのような躍動感で85年「ミ・アモーレ」86年「DESIRE」の2年連続レコード大賞を受賞するなどアイドルのトップというより日本の歌手の頂点に立ったのです

あの当時の活躍は本当に凄かったですよね

ついに松田聖子を超えたか?と皆が感じた時期だったのではないでしょうか

もちろんレコードのセールス数や賞の数だけでは測れませんけどね

他にもテレビ・ラジオやコンサートやら雑誌や写真集など活躍の場はたくさんありましたし、最終的には個人の思い入れの差なんじゃないでしょうか

結論はでませんが二人とも皆さんが認めるトップ2ということに異論はでないでしょう

 

ちなみにどさくさにですが小生は個人的には今も昔も最強トップアイドルは松田聖子だと思ってますw

この話をしだすと止まらなくなるので今回はこの辺でおしまいにしましょう

 

次回は松田聖子を脅かした中森明菜ではないもう一人のちょっと意外な刺客とは?

を書いてみたいと思います

あと皆さんが思う最強アイドルをぜひ教えてください(^^)

 

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